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鳴海塾
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塾の紹介 About us

代表メッセージMessage from the President

塾生も私も、楽しんで学べる塾で、あり続けたい。

鳴海塾のホームページへようこそ。
代表の『藤原信一(ふじわらしんいち)』です。

一般的な代表メッセージとは違い、私が中学・高校と学生時代をどう過ごし、なぜ『鳴海塾』を開塾し、現在までの道のりや未来・子どもたちへの想いを赤裸々に、綴っております。

ページをざっと見られたら、「長っ!」と思われるかもしれません(笑)
しかし、鳴海塾=私自身(経営者)と言っても過言ではありませんので、読み進めていただくことで、鳴海塾の骨の髄というか、歴史をとおして、深い部分までふれることができるかと思います!

『人への指導』という仕事は、むしろ嫌いでした。

私は、人への指導という仕事に対して、いい感情を抱いておらず、むしろ嫌いでした。
学生時代は、なんとなく『悪ぶっている・不良』という世界観に憧れ、その真似事をしているような青春時代を過ごしていました。

大人に対して嫌悪感をもち、すべての先生が嫌いでした。

大人=先生=わかってくれない。ザ・ブルーハーツ~。

高校1年生の時が最も調子に乗っていた時期で、幼なじみからのお誘いにより『悪い仲間』入りして、茶髪、タバコに、お酒まで飲んじゃう・・・パチンコ屋にもデビューしました。

女の子の話や音楽、ギター、洋服の話で盛り上がり、勉強時間は0分。
全く勉強していませんでした。今考えれば、半端なく楽しくて、学校で授業を受けている時間以外はすごく充実していました。

親はどんな気持ちだったんでしょう・・・。寛大な親だったのか、それとも、何か負い目があって言えなかったのか。とりあえず好き放題遊んでいた高校1年生でした。

毎日の勉強時間が0分だった私。ある日突然、勉強をする転機がやってきた。

そんな生活を続けていたある日。高校2年に上がる前の春休みでした。

悪い仲間の中にも、勉強も真面目にやっていて成績が学年一桁の子がいました。
曇りの日の昼下がり、実家の近くの神社でサッカーをして遊んでいた時です。その子から「藤原〜!俺たち、あと2年頑張ったら、大学行っても遊べるよな?」と言われました。

遊びも勉強も両立しているその友人のその一言はとても衝撃でした。
今でも鮮明に風景と一緒に思い出せるほどで、忘れることのない一言です。

そして、この一言が『私が勉強する』という大きな転機を与えてくれました。
毎日の勉強時間が0分だった私は、日中は遊んで、帰ってから深夜まで1日3時間勉強することに。


高校1年生の内容が全く残ってない私は、とりあえず、なんでもかんでも暗記するしかありません。「なんでこうなるの?」「わからない?」なんて言ってられません。
中学校時代にやっていた勉強法を駆使して、長文暗記、数式暗記、計算方法も暗記、ぜーんぶ暗記。それはもう凄まじい量の反復をしていました。

高校1年最後のテストが180人中165位くらいでしたが、高校2年の最初の定期テストで35位くらいまで急浮上しました。内心は、トップ10に入れると思っていたのですが・・・甘くなかったですね。

その後は急激に勉強したせいで、軽い睡眠障害になったりしながら、日々の勉強時間は減少傾向でしたが、テスト前には、アルバイトの新聞配達中にノートを持って英文暗記とか、ある程度真剣に。
でも『悪い仲間』とも、ちゃんと遊ぶ。クラスが変わって悪い友だちも増えるし、勉強のできる友だちも増えるし。そういう環境だったので、両方ともなんとなくやっていましたが、やはり子どもでした。遊びの方がやはり多かったですね。

家庭教師に頼るも、現実逃避→失速して、浪人へ・・・。

高校3年生になり、進路を考える時期になって、「国立理系クラスだし国立目指そう!
でも家で勉強するにも、すぐ質問できる環境が欲しい・・・。」
ということで、家庭教師を頼むことになった私。
そこで家庭教師として現れたのが、独立前に勤務していた学習塾の代表でした。

主に英語の指導ということでお願いしたのですが、その勉強法にとてつもない衝撃をうけました。

家庭教師:「これ、俺が買ってきた本なんやけど、この長文をな一日3つずつ暗唱できるようにしてみて。ただ、明日やるときは今日やった文を必ず読めよ。で、読めんかったらまた覚え直せ。まぁどうせ一日6つずつやらんと悪くなるけどな。続けろ。半分くらいまでいったら勝手に英語が読めるようになってくるわ。」

私:「え、これって自分が中学校の時やっていた勉強方法と一緒じゃん!分量も内容もハイレベルにはなっているけども、なんか普通すぎる。これでいいの?」

・・・4分の1くらいまでやってみたんですが、成果は見られません。
そして、センターが近くなればなるほど友だちとの遊びが楽しくなり(現実逃避・・・)
勉強時間が0にまた近づいていくという。失敗。浪人。という結果でした。

『1冊を暗記する』という勉強法に手応えを感じた浪人時代。

浪人してすぐ、現役時代に購入した物理の問題集1冊を、例の『すべて暗記する』という勉強法で取り組み始めました。

とりあえず、4~7月の4ヶ月で物理の大学入試問150問を9割まで暗記してみました。同時に数学の参考書も買って、これも暗記。成果も出ないまま、ただひたすらにやっていましたが、完全に習慣化してしまってからは、比較的楽しくなっていました。

どんどんできる問題が増えていくことが達成感に繋がっていたのでしょう。

そして、忘れもしない浪人1年目の8月の全統模試。数学192点。物理97点。(その2カ月前の模試は120点と60点くらいでした。)ちなみに解いている最中に、できた!という感覚はありませんでした。まぁ、たまたま?と思っていたら・・・翌月も同様の高得点!

これで実感しました。できるようになっている!なんだ、一緒じゃん。もしかして、全部これでいけちゃう?よし、他の科目も!・・・と思うのが通常の人間でしょう。

ですが、なぜかその結果に満足した私は遊びに突っ走ってしまい、志望していた大学への情熱も失い、友だちが多いから、という理由で志望校ランクを下げての大分大学に進学してしまいます。

試験勉強には「暗記」がBESTだと身をもって確信した大学生時代。

しかし、この成果は大きな自信となりました。
それ以来すべての試験勉強は基本的にこの方法。単位を落とすこともなく成績上位で卒業し、大学院入試では学科内主席入学。

と、『試験』に対して、安定の強さを発揮することができました。
でも、大学院に進学したのも遊びたかっただけ。人間として、どうなんでしょうね。やりたいことが見つからないまま、人生を先延ばしにしていた。

そんな時代。そんな私ですが、遊び、仕事の垣根なく楽しめたのが塾講師のアルバイトでした。アルバイト先の代表も当時は破天荒な人柄で、未経験の私の仕事に何の口だしもなく、完全に任せてくれていました。

若者ですもの、調子に乗ります。当時は、音楽、洋服、単車、にかぶれていたこともあり、バイクで塾に来て、金髪・ピアス・サングラス・革パンのスタイルで授業。滅茶苦茶です。ただし、自由にやらせてもらっている分、仕事は真剣に、成績を上げるために色々考えて、試行錯誤していた記憶があります。指導することが面白い、塾という空間、塾というチームが楽しい。何より自由だ!

やりたいことを仕事にする、ってこういう感じなのかも・・・。

貯金8万円、借金450万円での船出。難破船『鳴海号』の出航です。

大学院2年生での就職活動。
大学時代に学んだ技術を生かして、と考えSE(システムエンジニア)を募集する企業(高い技術力をもつ中小企業)に数社に応募しました。

無事にすべてに内定をいただいたのですが、この数社を選べる環境になってはじめて、自分のやりたい仕事、を真剣に考えました。
遅い。遅すぎですよね・・・。考え抜いて出した答えは・・・「『塾講師』に俺はなる!」でした。

会社員ではなく自営業へ。家族の反応は厳しいものでしたが、ストレスフリーで自由に仕事できて、楽しい。自分でもやれそう!?などと、今にして思えば、思い上がりも甚だしい若造26歳。貯金8万円、借金450万円。難破船『鳴海号』の出航です。

もがきながらも、子どもたちの『結果』を実感できた。

開業にあたって、考えていたのは、

『指導を通しての成績向上により、学習への時間的負担を減らし、 その時間を自分の好きな事に使える子どもたちを
 育てたい』
『塾に通わせてもらっている以上、親への感謝を忘れず真面目に取り組む姿勢を持たせる』
『子どもたちと同じ目線で話せる大人であること』
『楽しめる授業にすること』
ということでした。


さて、その結果は・・・、
自信はあっても、時間が足りない。
プリント作り+授業・個別指導で寝れない。

アルバイト時代に受け持っていた4〜5倍の授業数にくわえて、中3と高3に対する全教科受験指導。なんとなく考えていた成績向上のノウハウは、所詮”なんとなく”でしかなく、限られた指導時間の中で、思うように成績に反映できるほど形になってはいませんでした。

どうにかなるやろと思っていたけど、とにかく必死で仕事をして、どうにかした?どうにかなった?すらよくわからないまま膨大な授業時間、プリント作りに追われに追われて。全く自由じゃない!

ただその中にあっても、仕事へのモチベーションを維持できたのは、少なからず子どもたちの『結果』を実感することができたからでした。定期テストでも受験でも。
そして、想像以上の『仕事の実感』=『結果』を求めるようになります。

『結果』を出すためにギラギラした時代に突入。

ここから2年目、3年目、4年目と鳴海塾は『結果』を出すためにギラギラした時代に突入します。

中学生は、現在も続く『鳴海塾のスタイル』を作った有意義な時期でもあったのですが、反面、学年のレベルを揃えて競わせることに執着するあまり、極度の入塾制限を設けていました。

何番より悪い人はお断り、とか。これは負の遺産ですね。
いまだに言われます。「成績悪い人は入れないんでしょ?」

また、高校生に対してはより顕著で、平日だろうが子どもたちの希望があれば、深夜12時からでも授業をやる。
完全に学校を軽んじていましたが、当時の生徒たちが、若者らしく学校に反発するような気質の子どもたちだったこと。
私も子どもたちも学校に対して、全く信頼を置いていなかったこと。まぁ、後者は自分の高校生活に由来するものですが。
塾至上主義、といった方針でした。

そしてそれが正解と信じて疑わなかったし、結果も出ました。
ただし、受験という3年スパンでの戦略的要素があるものに対して、計画的ではなく、入試に関係あるものは片っ端から授業で教える、教えたらできるようになれ、といった場当たり的な方針だったため、もっと良い方法があるのではないか、という感覚は常にありました。

結果が出ていること、仕事の忙しさ、自分の未熟さもある。
言い訳すればいくらでもできるこのモヤモヤはとりあえず隅に追いやりつつ、その年、その年で自分のできることをクリアしていく日々を送っていたところに転機が訪れます。   

自分が親になって気づいたコト。

その転機とは、自分の子どもが生まれたこと。
父としてその成長を見守る中で気づくことがありました。

それは、『期待しようがしまいが、教えようが教えまいが、子どもは育つ』ということ。
『教えたこと』は、何度も言わなくても、伝えたことは子どもたちの中にちゃんと残っていて、彼らの置かれた環境の中で、やれることを少しずつやっていること。

そして、成長していること。

塾としての『結果』を追い求めるあまり、子どもたちの自主性を信じていませんでした。やればできる、できるようになるしかない、という大人の仕事に対する方法論が大前提で、子どもたちの目線に立てていなかったのです。

子どもたちの自主性を信じてみることに。

それまでは、時間外補習を多くとり、指導力のなさをカバーしていた部分がありましたが、子どもたちの負担を減らしつつ、最大限の効果を上げ、さらに勉強しやすい環境や気持ちを作ることに重点をおいた改革を実施しました。

  • 『志望校への合格』を目標とした、最も効率の良い授業への見直し。
  • 塾内での子どもたち一人一人の雰囲気の変化に敏感になる。
  • すべての教科、すべてのレベルに対応できる自習環境の整備。
  • 受験合格といった短期的なものでなく、『大人になるまで、なってから』までを伝えること。
  • 授業数を減らすこと、子どもたちの自主性を信じてみること。

『子どもたちの自主性を信じてみる』ことには、大きな抵抗がありましたが、子どもたちは私が感じていた各人の実力通りの結果を出してくれました。
もちろん全員が、というわけではありませんが、上手くいかなかった子も、その原因を上手く突いてあげれば「次回こそは!」と、気持ちを切り替えてくれました。

やはり、塾に通っているだけあって、勉強する気はあるんだなぁ。 と再確認させてくれました。

成績が伸びる子を観察して、明確になった学習スタイル。

その中でも劇的な変化といえば、自然と子どもたちの中から、難関大を目指して受験に真剣に取り組む子と出会えるようになりました。

そして、この出会いにより、成績が伸びる子とはどういうものか、を学ぶことができました。『学ぶ』というより『今までの経験則で知っていたことが、はっきりと明確になった』といった方が適切かもしれません。

成績が伸びる子は、

  • 勉強することが習慣となっている。
  • 時間の使い方が上手い。
  • 問題集やノート等、自分の信じる一冊を使い続ける。
  • 完璧に理解・暗記することを求めるので、わからない事ははっきりさせたがる。
  • そして、元気が良い。

まさに、それは浪人時代に真剣に勉強に取り組んでいた自分の姿でした。

その当時の感覚を思い出すと、勉強する=難易度の高いゲームを練習して上達する、という感覚で『楽しい』の要素が入っていたように思われます。
このスイッチが入った子は、質問に答え、一緒に考えてあげるだけで、できるような気になってくれて、そして実際できるようなりました。

私にとっては、なんともやりがいのない、といっては語弊がありますが、楽というか自然体というか・・・吸収も成果を出すのも早い子たちでした。

成績を上げるための様々な紆余曲折を経て、子どもたちから教えられたこと。
それは『最も勉強に向き合っていた過去の自分自身の姿。』でした。子は親を映す鏡とは良くいったものですね。

子どもたちの未来と、今の学びの意味付けを、きちんとしてあげること。

子どもたちの学習の原動力は、自分の未来への希望です。

しかし、その未来とは切り離された状態で、目の前の入試という小さな目標だけに向かって、学んでいるという現状があります。
入試をクリアすれば、ぼんやりとリアリティのない未来が開かれるハズ、では、原動力となりえません。

私も子どもたちと同様に未来に思い悩み、そして勉強では失敗し、そこから成長できた学生時代、大人時代(笑)があります。
自分の経験やこれまでの卒塾生の経験を、失敗も成功も正直に伝え、彼らの進もうとする未来へのイメージを持たせてあげたい。

そして、彼らの未来と今の学びの意味付けをきちんととしてあげることで、彼ら自身が成長し、それが成績となって還元される。(夢のような話ですね(笑))

そんな夢のような話を追いかけることで、“塾生も私も、楽しんで学べる塾で、あり続けたい”と思っています。

藤原信一

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